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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)1944号 判決

原告 谷口トク子

右訴訟代理人弁護士 荒川正一

被告 金判億こと 並川康之

被告 小宮山邦彦

右被告ら訴訟代理人弁護士 風早八十二

主文

被告らは、原告に対し、別紙目録記載の家屋を明渡し、かつ、昭和三八年三月一四日以降右明渡しずみにいたるまで、一箇月金七千円の割合による金員を連帯して支払え。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、本件家屋(東京都世田谷区玉川等々力町三の六所在木造瓦葺平家建住家一棟建坪一八坪八七)が原告の所有であることは、当事者間に争いがなく、また、被告並川が右家屋に居住してこれを占有していることは同被告の認めて争わないところである。被告小宮山は、被告並川の先々妻との間の子として被告並川の占有に従属して居住しているにすぎず、独立の占有者ではないと争うが、≪証拠省略≫によれば、同被告は、成年者であつて、被告並川とは別の世帯を構成する者であることが認められるから、同被告は、被告並川の占有に従属して本件家屋に住居する者ではなく、独立の占有者と解するを相当とする。

二、しかるところ、被告らは、右占有の正当権原として、被告並川の賃借権を主張するから、この点について判断する。

原告が、昭和三一年五月一日、証書上、借主を中島栄子として、本件家屋のうち八畳、六畳の二室を賃料一箇月金九千円、期間二年の約で賃貸し、次いで右貸室契約を更新して本件家屋全部を賃貸し、賃料を一箇月金一万円と定めたが、翌昭和三四年夏、中島栄子の申入れにより、賃料を一箇月金七千円に減額したことは、当事者間に争いがなく、右中島栄子と被告並川とが当時、内縁の夫婦であつたこと並びに被告小宮山が被告並川の先妻の子として同居していたことは、証人中島栄子の証言および被告並川本人尋問の結果により、これを認めることができる。

ところで、右被告ら抗弁の理由とするところは、

まず、本件家屋の真実の賃借人は被告並川であり、中島栄子は、単なる形式上の借家名義人にすぎないというにあるが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、≪証拠省略≫によれば、原告は、中島栄子を信頼して同人に対して本件家屋を賃貸するに至つたことが認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。

つぎに、中島栄子は、被告並川の代理人として、被告ら家族の居住のために賃借する旨を原告に知らせ、もしくは知りうべき状況の下に本件家屋を賃借したのであるから被告並川は本人として賃借権を取得したというにあるが、証人中島栄子の証言および原告本人尋問の結果によれば、中島栄子が同人およびその家族の居住のために原告から本件家屋を賃借したことは認められるにすぎず、他に右賃貸借契約の締結にあたり、その効果(賃借権)を直接被告並川に帰せしめる明示もしくは黙示の意思表示があつたことを認むべき証拠はない。

さらに、夫婦が同せい生活を営むために家屋を賃借するは日常の家事に属するから、民法第七六一条の解釈上、前示賃貸借契約により被告並川も本件家屋の賃借人としての地位を取得するというにあるが、民法は、夫婦財産に関し独立平等を理念とし、ただ、日常の家事に関してまで、右の理念を貫くことは、夫婦が共同生活を営んで互に事実上の利益を亨受し合つている現実にかんがみて適当でないので、同法第七六一条は、家賃支払等日常の家事に関し、特に夫婦の連帯責任を定めたものにすぎず、特段の事情がないかぎり、夫婦の一方が締結した借家契約により、他の一方も当然に賃借人としての地位を取得するに至る趣旨までも含むものとは解されない。

そうすると、被告ら主張の右抗弁は、いずれも理由がないといわなければならない。

三、被告らは、さらに、かりに本件家屋の賃借人が中島栄子であるとしても、中島栄子が内縁を解消して同居しなくなつたというだけでは、被告並川の居住が不法占拠とならないと主張するので、この点について審究する。

およそ婚姻によると内縁によるとを問わず、夫婦が共同生活を営み、その家族のためにその一方の名義で住宅を賃借する場合には、その賃貸借契約にあたり、特段の事情がないかぎり、右借家名義人が家族構成員に当該家屋を居住のため使用させることを賃貸人において承諾する旨の黙示の合意があつたものと解するを相当とし、これによつて形成される法律関係は、賃貸人又は第三者に対する関係において、賃貸人の承諾のある転貸借に準ずべきものと解すべきである。したがつて、夫婦関係が解消しても、右の賃借権が存続するかぎり(夫婦の一方である借家名義人が死亡しても賃借権は、その相続人によつて相続される。)、賃貸人は、残存家族に対し、不法占拠を理由として明渡しを求めることができないが、しかし、他面において、右の借家名義人(死亡の場合はその相続人)の債務不履行等を理由とする解除により、その賃借権が消滅したときは、残存家族の居住のための使用権は、その存在の基礎を失うにいたるといわなければならない。

本件において、中島栄子が被告並川と内妻関係にあつたこと並びに中島栄子がその家族の居住のために本件家屋を同人名義で原告より賃借したことは前示認定のとおりであり、その後、昭和三七年一一月に至り、中島が子供二人を連れて本件家屋より立去り、他に転居したことは当事者間に争いがなく、また成立に争いのない甲第四号証の一、二および証人中島栄子の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、中島栄子は被告並川との内縁関係を一方的に解消し、原告方が近所であるにかかわらず、原告になんら断るところなく、かつ、転居先も知らせぬままに上叙のとおり本件家屋より退去するに至つたこと、その後原告において調査の結果、中島栄子が品川区小山台に転居したことが判明したので、昭和三八年三月一二日、内容証明郵便をもつて原告が同人に対し、右無断退去を理由として本件家屋の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、翌三月一三日、右書面が到達したことを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。そうだとすると、右中島の行為は、本件家屋の賃借権を放棄し、かつ、借家人として誠実に果すべき保管義務に違反したものというべく、借家人においてかかる信頼関係を著しく破壊するような行為があつた場合には、賃貸人においてなんら催告を要することなく、直ちに、賃貸借契約を解除することができると解するを相当とするから、原告と中島栄子との間の本件家屋の賃貸借契約は、昭和三八年三月一三日かぎり解除され、同日以降被告らは、本件家屋に居住すべき権原を失うに至つたといわなければならない。

四、よつて、被告らの権利濫用の抗弁につき按ずるに、内縁の夫婦の一方が内縁を解消するにあたり、自己の賃借権を残存配偶者に譲渡し、賃貸人に対しその承諾を申し出た場合には、たとえ承諾が得られなくても、賃貸人においてこのことを理由として賃貸借契約を解除するのは、民法第六一二条の趣旨にかんがみ解除権の濫用と解されるのであるが、本件の場合、前示認定のとおり、賃借人である中島栄子が、内縁関係を一方的に解消ししたがつて自己の賃借権を被告並川に譲渡することもなく、また、賃貸人たる原告になんら断ることもなく、本件家屋より退去したのであるから、かような場合には、たとえ賃料を従来から残存配偶者において負担し、かつ、使用収益の態様に変化がないとしても、前記解除の意思表示をもつて権利の濫用というは当らないというべきである。

五、そうすると、被告らは、昭和三八年三月一三日以降、本件家屋を不法に占有し、原告に対し、一箇月金七千円の割合による賃料相当の損害を蒙らしめているというべきであり、原告の本訴請求は、いずれも理由があるから、これを認容することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言の申立ては、相当でないから、これを却下する。

(裁判官 杉本良吉)

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